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Need a カンカン帽♪ [クロスオーバー]

ジャズライフの最新号に目を通していたら、チック・コリアとジョン・マクラフリンのライヴ・アルバムの写真が載っていて「あ〜、またCD買わないと」と新たな物欲をそそられた左近治。それはともかく、いや〜流石にビッチェズ・ブリューやRTFの頃の人なのだから致し方ないかもしれませんが、チック・コリア先生、トシ取りましたね、と。聴き手の私だってジジイになるワケだとつくづく痛感。

まあ、若い頃のチック・コリアとてイケメンとは言い難い少々ナードな雰囲気漂う人ではあるものの、歳重ねた上に太ったなーと、いつぞやの上原ひろみも出演したライヴを観て思ったモンでしたが、先の写真となると最早そういうありきたりな印象通り越して、月亭可朝の顔にクリソツになっているのにはさしもの左近治も度肝を抜かれました(笑)。

折角楽理面で語っているのに容姿が月亭可朝激似と来た日にゃあ、頭ン中ぁ嘆きのボインのフレーズがこびりついて離れませんッ!。なんという運命のいたずらか、嘆きのボインの方もスパニッシュな雰囲気ですぜ、コレがまた(笑)。

私がRTFを初めて聴いたのが1982年のコト。もうこの頃の私はすっかりエレクトリック・ベースに魅了されて、スタンリー・クラークやジャコ・パストリアス、アルフォンソ・ジョンソンやら渡辺直樹やらに没頭していた左近治でありまして、ベース聴きたさから入り込んだモノの、チック・コリアの作品に出会ってから四半世紀以上経過しますが、いまだにチック・コリアの作品から学ばされるものは尽きず、折角楽理面で多くのことを語っているにも拘らず、月亭可朝に投影しては非礼千万極まりありませんな(笑)。

とまあ、同誌を読んでいるとCDレビューにもHMVの担当者の紹介するアルバムに「Fast 'N' Bulbous」のアルバムが紹介されていたりして、なかなか興味深いアーティストをジャズライフで見かけるとは思いもよらなかった左近治。ブラバン主体だけどどこか世俗的で実によろしいんですな。CDレビューのアルバムではなく「Pork Chop Blue Around the Rind」を持っている左近治なのでありますが、何と言ってもこのグループは、我らが「牛ハツ大将」キャプテン・ビーフハートの曲をカヴァーしているという、若干ファンキーさとパワフルさがあるとはいえ私はついつい「レコメン耳」で聴いているバンドなんですな(笑)。

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キャプテン・ビーフハートのイナタさは今更語るのは無粋ではありますが、レコメン耳で聴けるようなモノも結構ありましてですね、「Dust Sucker」収録の「Bat Chain Puller」などは非常に良いアンサンブルで私は大好きなんですな。あのギター・リフなどロック・ギター史に残る名リフのひとつだと思うんですなあ。

まあ「牛ハツ親父さん」絡みを、よもやジャズライフで見かけるとは予想だにしなかったのでありますが、実はこんな所にまでハナシを結び付けているのはですね、左近治が制作を目論む曲で権利関係上どうしてもリリースできない曲がありまして、断腸の思いで制作を断念せざるを得なかった作品が最近だとキャプテン・ビーフハートの「Bat Chain Puller」だったという裏事情がありましてですね、ついついこうして語ってしまった、というワケでございますよ、ハイ。

レコメン系聴きながら酒食らって酩酊状態に陥りつつ、一方ではブログで楽理面を語っているというそんな所に妙な一致を覚えましてですね(笑)。ついつい語ってしまったというワケですわ。


扨て本題に入るとして、つい先日はチック・コリア・エレクトリック・バンドの1stから「King Cockroach」を題材に語っていたのでありますが、これまで語ってきた楽理面との結び付きはお分かりいただけましたでしょうか!?

楽理的な背景は抜きにしても「King Cockroach」という楽曲レベルの高さは言うまでもないのですが、まあ、素晴らしい作品の前には、人前で涙を見せるのも憚らない、てやんでいHoly shit!とくらあな。という姿勢なのかどうかは扨置き、曲名通り、実に「ゴキブリ」を実に巧みに演出しているな、と。F.ショパンの作品op64-1「小犬のワルツ」にも似た、非常に曲を巧く形容しているタイプの曲だと思うワケですな。

まあ、とりあえず前回の続き的な感じで「King Cockroach」のチック・コリアの単旋律部分の補足をしておこうかな、と思います。あのマイナー7thのパラレル・モーションですな。

ここの単旋律はFm7がバックにありますが、単旋律に行く直前では長九度の音をぶつけて来てから一連のフレーズが始まりまして、Fmコード上から見ればb9thと#11th音を織り交ぜながら分散フレーズのように弾いてきます。どんな分散かというと「Gm△7(+5)」と「Cm△(+5)」をFm7に乗っけてくるかのように織り交ぜるワケですな。勿論これは以前にも語ったようにFmコード上でのIIb - Vbのアプローチでもありますし、全音下からのミクソリディアン+エオリアンというハイブリッドなモードとして全体を捉えるコトも可能だと散々述べてきているので、もう耳タコ状態かもしれませんね(笑)。




一方、さらに別の解釈として、これはFm7というコードの同一和音を増四度離れた音程に配置して、そのコードのルートをミラー・コードとして導入するという発想とも言えるでしょう。

Fm7の増四度離れた同一コードというのは「Bm7」になるワケですが、「Bm7」のルートを基準にして「Bm7」の各構成音の音程を仮想的に下に同様に作ると「ミラー・コード」が生まれます。

前回のブログにおいては「I△→IIm」のコード進行部分も語っていたので、そこに平行調を見出したりして、全体像としての「マイナー」の世界観を想起してアプローチする方法やらも提示したつもりですが、短和音上における「裏」の世界というのも見出すことのできる側面を持っているというのは実に興味深いモノだとお気付きになってくれればな、と思います。

こういうアプローチを導入することで「I△→IIm」の部分においても別のアプローチとして幅が広がるのは間違いないと思います。またチック先生は「I△」上で時折リディアンで攻めたりもしておりますが、コレはココで語る必要のないほどの常套句のひとつですね。

アウトサイドな演出の幅を広げるという意味で短和音上において「裏」や「逆」や「複調」という多様な世界を見出すことができるというのが、ココん所左近治が声高に語っていたコトなんですな。

例えるなら、和声のない単旋律で「短音階」を弾いたとしましょう。「自然短音階」ですな。短調としての世界観を演出するには属和音の扱いが変わって変化記号を伴ったりするワケですが、これを変化させずにいればモーダルな世界には近付いているんですな。但し、旋律に用いている音価によってはモーダルではなく短音階としての情感を維持したりもしますが。

変格旋法における元となっている「基軸」はそれぞれのモードスケールの第5音にあるというのはチャーチ・モードの基本中の基本ですが、その音に重きを置く(前後の旋律の音価のバランス)となると変格旋法としての情感は保てないのもモーダルな世界感演出には避けて通ることのできない壁ですね。

単旋律で短音階を弾いたとしても場合によっては5度上のフリジアンという旋律の方に重みがある時だってあると思います。短音階として扱いづらいのでエオリアンのモードから短調を生んだのかもしれませんが、情感としての重みは私はエオリアンよりもフリジアンの方が強烈だと思っているんですな。

スパニッシュ・モードがフリジアンから派生したモードということを考えると、スパニッシュ・モードの特徴的な音というのは、自然短音階における属音への「属七」の導入による変化形ではありますが、EフリジアンのそれとAマイナーって全く別物だというコトはお判りだと思います。

つまるところ、マイナーの5度上にスパニッシュ・モードを見出してアウトすることも可能ですが、トニック・マイナー上でコレをやったらただ単にM7th音を導入しただけに過ぎないワケで(笑)、ドリアンで代用できるシーンでスパニッシュ・モードを想起する方がより多様だということですな。

例えばDmキーにおいて「Dm7 --> G7」という、Dドリアンの常套句の2コード・パターンがあったとして、Dmのコード上でAスパニッシュ・モードのトーナリティーを想定するのではなく、ホントはDマイナーをドリアンで代用してるんだけど、敢えてDドリアンと決め込んで(=基軸はAマイナーとして想起)、そこでEスパニッシュを弾いたりとか。色んな方法があります。

いずれにしても、マイナー・コード上における4度・5度・7度において「別の」調性を想起してアプローチするのは非常に効果的だってこってす。まわりくどい説明に感じられるかもしれませんが、いずれにしても根拠とやらを先に語っておかないと「なんでその音が使えるのか?」という疑問に対して答が得られなくなるので、先に説明をしているワケです(笑)。

耳が「アウトサイドな」習熟レベルに達していなければ体系的に覚えるだけでは扱うのは難しいとは思うんですが(笑)、こればっかりはどんなにブログで指南したとしてもムリがあるってぇモンです(笑)。

まあ、チック・コリアを題材にしてきましたが、こういう事を語る上でとっても参考になっているのはチック・コリアだけではなく、実はヒンデミットだったりするんですな(笑)。チック・コリアとヒンデミットは結構似た音を使ってきますので興味深い事実であります。