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ハーフ・ディミニッシュト9th [スティーリー・ダン]

そろそろハーフ・ディミニッシュト9thも含めて、ハーフ・ディミニッシュについてそろそろ語っておこうと思うんですが、その前に・・・。

年頭から色々小難しいコト語っておりますけれども、ある意味では音楽の調的な「設計図」という部分を語る上で、時にはその「標準的」な概念がまどろっかしくしてしまうということがありまして、それに対してもどかしい左近治がここにおります(笑)。

判りやすく言うならば、調号という記譜法や長調&短調という概念やらは、その調的な偏向度とやらが非常にバランスよく万人に響くため長年受け入れられて構築されている基準なのであります。ゆえにコード表記にしてもチャーチ・モード内の世界を語る上で一般的なコード・ネームの表記は非常に端的に理解しやすいというのは私も普段慣れ親しんでいるので同様に感じているのであります。

但し、非チャーチ・モードの世界でコード・ネームを「端的」に表現した所で、構成音こそチャーチ・モードの世界と等しい和声があるにせよ、使い方によってはその世界観はまるっきり違ってしまうことも往々にしてあるワケですな。そういう所で表現の難しさを感じるワケであります。

例えば、ウォルター・ベッカーのソロ・アルバム「Circus Money」収録の「Downtown Canon」について、私は過去に2度ほど楽理面でも述べてきたわけですが、今改めて振り返ってみると一番最初のブログは去年の4月27日に語っていたのだなぁと、月日の流れの早さを実感しているのでありますが、この曲の特徴的な和声について語っているのは「Dbm△7(13)」という記述。


その和声の構成音は「Db、E、Ab、C、Bb」であるので、過去の2つの記事では年頭のような注釈を用いておりませんが、この構成音は実は「Bbm9(-5)」と同じでありまして、Bbハーフ・ディミニッシュト9thとなるんですな。

では、なぜそう表記しないのか?

そこに非チャーチ・モードの世界観をあえてチャーチ・モードという標準的な概念にすり寄りたくないからという理由があるからなんですな。

「Bbm9(-5)」というコードの3度ベースをベッカーが弾いていて、さらにエレピ(ローズ)が3度と5度を補強するように動いていると思えばいいですし、演奏者視点で見れば見慣れぬマイナー・メジャー7th系のコード・ネーム表記よりも、ほんの少しのジャズ心のある人ならばハーフ・ディミニッシュトの表記の方が「端的」に伝えることはできるかもしれません。

しかし、「Bbm9(-5)」として見た時のそれらのアンサンブルの「現実」は、ルート音の役割をこれほど希薄にしていると、もはや非チャーチ・モードの世界では3度ベースや5度ベースなどと、構成音内の音をなぞっても機能が変わってしまう情感を生み出してしまうので、敢えて私は当時から「Dbm△7(13)」という、Db音から見た表記をしたのであります。これについては昨年の11月頃にも別のブログで似たような事を語っていたとは思うんですが、「Db、E、Ab、C、Bb」という構成音を用いて、比較的標準スタイルのハーフ・ディミニッシュト視点でBbから見つめても、ハーフ・ディミニッシュト9th本来の響きは希薄、且つマイナー・メジャー7thとしての情感が色濃く出ているのであるからこその表記を区別していた、ということをご理解いただきたいんですな。

故に、時として非チャーチ・モードの世界を語る時というのはまどろっかしい表現を伴うので苦心してしまうワケであります。

「V7 sus4 omit5/VIb7」という表記も、上声部の5th音をオミットしなければ、「端的」に理解しやすいはずの基準となる音を用いて元のコードを探ることが可能だということを述べているワケです。

但し、いくらそれが標準的なコードとして見やすい表記だとしても、例えばそれがD7(+9)/G」という本来のドミナント7thの機能を失わせた概念をも用いてまで端的な表記をせねばならないのか!?という疑問点をからめつつ語っていたことは記憶に新しいことだと思いますが、まあ、つまるところ、非チャーチ・モードの世界では3度ベースや5度ベース、あるいは7thベースや2ndベースだって非常にデリケートに扱う必要が出てくると言いたいんですな。チャーチ・モードの世界のように「勢い」で弾いても情感保ってくれませんからね(笑)。

和声的な情感を変えてしまうからデリケートになりつつも、そこをトコトン理解してあらゆる音で泳ぐように選別できるようになれば(=ベッカー御大のように)、これまた非チャーチ・モードの世界の理解を深めることにもなる、というワケです。

ですので、標準的な表記ばかりに固執しないような柔軟な解釈をしていただければな、と思う次第なのであります。一般的な解釈の基準として解釈すれば疑問やツッコミのひとつやふたつ持たざるを得ないかもしれませんけど、たまたま左近治のブログにブチ当たって1つのページを読んだだけならそのような解釈に迷うかもしれませんが、継続して読まれれば1本くらいはスジを見つけていただけるのではないかと信じてやみません(笑)。