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Muted Bassにみる第2部分音 [ベース]

ココ最近左近治は、ウォルター・ベッカーの「Circus Money」リリースを機にそのアルバム収録曲やら前作の「11の心象」の作品を手掛けているワケでありますが、ベッカーのベースとなると特徴的なのはミューテッド・ベース。

ベッカー本人が使用しているのはサドウスキーのJBモドキでありますが、今回の話題はサドウスキーだろうが他であろうが共通したモノではあるんですが結論から言うと、ミューテッド・ベースの音は第2部分音が顕著に響くことであるので、それを今回の話題にしようかな、と。

第2部分音。すなわち自然倍音列で言うところの第2次倍音のコトですな。部分音とは非整数次の成分が楽音に含まれた場合においてもそれを「部分音」とも呼びますが、今回は第2次倍音と部分音は同じコトです。

ベースの弦をミュートすれば高次倍音は鋭く減衰を速め、弦振動そのものと共鳴する振動が際立つ(これ自体減衰は速いですが)ようになります。すなわち、通常の弾き方では高次倍音にマスキングされていたような倍音が際立ってきます。

チャップマン・スティックはそれそのものがミュートではないものの(離弦時は強制的にミュートした方がより良い音を出すためにミュートがナット側に付いてはいますが)、弦振動の与え方がタッピングのためか、弦振動そのものに追従しやすい倍音構造になるのか偶数次倍音、特に第2部分音が顕著になるため、低い音域にも関わらずオクターブ上の倍音がクッキリと現れるので音程感が実に豊かなのであります。

ミューテッド・ベースにもこういう特徴があるワケですが、ピッキングする側が指だと第2部分音はそれほど顕著には鳴りません。ピック弾きでなおかつピックをヒットするような感覚ではなく、あてがう感じのピック弾き。これこそが第2部分音を顕著にさせるワケですな。

ベッカーのベースをひとたび聴けば、その部分音をキレイに出すためのミュート加減やらピッキング加減の絶妙さがお判りいただけるかと思うんですが、音数を競うタイプのベースでもありませんし地味に徹しているのでその凄さはあまり伝わらないかもしれないんですが、音質のコントロール具合やら音選びが非常に絶妙なんですな。これは「11の心象」や「サーカス・マネー」共通しているコトです。

また、ベッカーがエレベを用いずにドナルド・フェイゲンのソロ・アルバム「カマキリアド」収録の「Tomorrow's Girls」のようにDXベースを用いている曲もありますが、その音質はやはり第2部分音が際立つ音を選別して用いているコトが判ると思います。そうすることでベースの際立ちと、ハーモニーを構成する上で常人なら選びそうもないような音を彩りに使っている様を理解しやすくなるというメリットがあって、聴衆に向けての配慮があるワケですが、ベッカーのこういう配慮というのは大半の人の間では蔑ろにされていたのが現実だったんですな(笑)。

ま、ベッカーのベースのフレージングはおろかコード・プログレッションには「Medical Science」をリリースする時にでもあらためて驚いてほしい部分でもあるんですが、こんなにスゴイ方を楽理の「が」も知らぬような輩がよくもまあ批判を繰り広げているモンだと思うと情けなくなってきますな(笑)。

数年前のホール&オーツの日本公演ですら、まともに声出てたのはオーツの方ですし(笑)、オーツのギターだってかなりツボを得たフレージングだったんですが、観客の大半はダリル・ホール目当ての女性客でしょ(笑)。

よもやスティーリー・ダンにすらフェイゲンありき、という偏狭的なファンがいるのだから悲しいモノですな。ベッカーの唄がヘタだの毒付く愚かな輩には、「Medical Science」のバッキング・コードで「あのまんま」のメロディてめえでさえずってみろ、と言いたくなるんですな(笑)。よほどの音感備えていなけりゃあんなメロディ口ずさむどころか浮かばねぇってモンよ(笑)。

とりあえず、アルバム「Circus Money」の魅力に気付かれた方は「11の心象」を聴くのもイイんですが、楽理面で追究したい人ならガレスピーやバド・パウエルというジャズ畑が参考になるのは勿論ですが、ミルトン・ナシメントをトコトン聴いてみてほしいんですな。

ああいう叙情的に引っ張る世界とモード・チェンジを巧み行う術。それをロック的なアンサンブルのアプローチで「聴かせる」となると、とたんにサステインがふんだんに利いたアンサンブルだとせっかくの第2部分音が顕著になったベース音ですら活かされきれない。となるともっとシンプルにカッコよく響かせるとなると、ダブの世界観やらレゲエ(どちらかというとベッカーのそれはレゲエというよりもスカ系の嗜好性があるように思えますが)に寄り添うことになったのではないかと推察します。

ステレオタイピックな人だと「レゲエ」なんて拒否反応起こしている人も実際にはおりますが、レゲエの持つ覚醒的な酩酊感を誘う「強拍のボカシ」を念頭においてハーモニーを追うと、これまた非常に酔える感覚があるんですが、これを知らないジャズ畑だけの人とか、ダブの良さが判らなかったり、或いはピンク・フロイドを聴いても彼らがなぜ日常的な雑踏や牧歌的なフレーズを導入して卒倒感やバッド・トリップを誘うような演出を施すのかを理解できれば、レゲエの覚醒的な作用はシラフでもお判りいただけるようになると思います(笑)。

昨年の10月に私がアジムスの「Outubro」をリリースした背景も、音楽的にこーゆー題材で引っ張って行きたいという思いでそれをきっかけに坂本龍一関連やらと、共通するテーマとなる曲をリリースして、ベッカーの2ndアルバム「Circus Money」が期待通りだったので、楽理面に関してこういう流れで述べてきているのだということをあらためてご理解していただければと思います。

狂犬病患者に光を見せたり、バッド・トリップ陥っている薬物中毒者にサイレンの音聴かせたり(笑)、大麻吸っている輩にファンタジア見せたりとか、それらの、今にも気がおかしくなりそうな人をもハーモニーの酩酊感にひとたびいざなえる感覚を、薬物無しで和声に酔えるようにさせてくれる術があるワケで、そのオイシイ聴き方を理解していただければと思うんですなあ。

「Medical Science」のサビ部で3度を使ってサイレンっぽいSEをギターで弾いている部分がありますが、あのドップラー効果のような演出も、実はとっても理にかなったモノでして、ギター初心者がサイレン覚えたような勢いだけでドップラー効果的なことでアーム・ダウンしたような演出とは全く違うモノであります。いずれ詳しく解説しますけどね(笑)。

私の周囲でも当時は「子供ダマシみてぇなフレーズ弾いてんじゃねーよ」とまで言われて、そりゃヒドイもんでした。おまえの耳がヒドイのに(笑)。当時のアホな私の知人談。

ま、長い文章で読みづらい私のブログ。音楽にはチトうるさく語りたくなってしまうんでご容赦を。