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今朝はPuke to go♪ [おバカ]

昨夜はリアルタイムで観る事ができなかったゴルゴ13。

少々飲みすぎてhanging overな朝を迎えているのでありますが、メチャクチャ腹減ってしまって手当たり次第食い漁りながら録画のゴルゴやら今期のドラマを見終えたところであります。昨夜は久々に悪酔いでDuke TogoもといPuke to goって、ローゲーお持ち帰りッ♪ってなワケでございましたよ、と。

ま、なんにせよゴルゴのBGMはホントにイイっ!

この手の音聴くとついつい作りたくなってしまう左近治。まあ、実際もう先週の段階でとっとと作ってしまっていたんですが(笑)、楽理面でも結構語れてしまう上質な音楽でございます。

訊けばバンダイさんが絡んでいらっしゃるとのことで、今後のDVDやらもしかするとiTunes Storeの配信も有り得るかも!?とにらんでいる左近治ですが、年末年始スペシャルなどでは是非とも大作を実現してほしいモノでありますな。テレ朝の相棒とダブらない時間で放送していただけたら最高です(笑)。

キミ犯人じゃないよね?の音楽もようやく腰を据えてきたように思えます。特に第2話の海辺を歩いていたシーンでも使われていたピアノの旋律の曲はハイシマ・ワールドを感じさせてくれました。ナイトヘッドの映画版でしかなかったサントラ(未発売)にも似た曲がありまして、確かB♭△7から始まってDマイナーに解決するかと思わせてDメジャーに解決するような心地良いBGMがナイトヘッドの映画版にはあったんですが、それににた感じの「モーダル」な曲が良かったですね。この人はモーダルな曲調とインダストリアルの対比こそがキモ!と左近治は思っておりますので。

先週もテレビコンテンツ、主にドラマ関連について感想を述べましたが、今期のテレビコンテンツはおバカ系が増して、さらにはドラマの音楽関連でも結構耳をひきつけるようなものが多いように思えます。

社会の倫理観や不文律の部分を赤裸々に描写する、という類のものというのは、他のコンテンツと対比させながら鏤めると効果が絶大ってなモンで、ラスト・フレンズもそういう所がよろしいのではないかと。左近治が今年のテーマに掲げていたのもおバカ系な飛び道具と不文律夜露死苦!なものをテーマに掲げていたので見習わなくてはなりません。

ラスト・フレンズはそーですね、倍賞美津子をどう持ってくるかに注目しております。トコトンだらしない親なんだけれども、重要なところで愛は注ぐ!だけど離別、みたいな、映画「パリ・テキサス」系な風にしてもよろしいような感じ(笑)。でも、どこかで誰もが幸せになれない陰鬱な最後にする「ディア・ハンター」系展開も期待している左近治。幼少のトラウマをトコトン描写した肉欲感をドラスティックに描いて「ブリキの太鼓」系にするのもよし、展開に目が離せません(笑)。瑛太演じる裸への過剰な反応はどことなく「スリーパーズ」を彷彿させるような性的虐待を受けたような隠喩を感じましたが、それか極度のマザコン(母子家庭)で母の男友達との戯れを性徴期に見てしまったのか!?とも思わせるような、どこかトラウマを引きずっている感が堪りませんな(笑)。

ま、こうしてブログで語っていようが結局はフィクションのネタについて考えているだけでありますから、そこまで考える必要はないのでありますが、寓喩のこもったものを推察するというのはイイことだと思うワケですな。

ネットだろうが現実社会でもそうですが、ネットというメディアがはびこる現代社会でいじめやら、人間関係というのは昔よりもギクシャクしていると感じますし、思慮深さが自己防衛の方のベクトルしか向いていない人の多さを感じるのが今でして、我が子の心配もしたくなる左近治であります(笑)。

人との関係ってぇのは対等であっても、自分の配慮よりも上回ってくれている人を選別する人が多くてですね、自分を下に持っていけないという謙虚な姿勢が足りない人が多く、他人の良心につけこんで胡坐をかく「逆サービス」を最近では至るところで確認できる時代になりましたことは過去のブログでも述べたことなんですが、どこか自分主体な世の中なんでしょうね。一人称の壁だけは誰にも崩させないという強い幼稚な心理を垣間見ることができる現在です。かといって、サービスが疎かなものへクレームつけるとクレーマーになっちゃうぞ、と。楽器安く手に入れたいなら、客だって良心を備えて話に持っていかないと、イヤな客に値引きしてくれるワケねーだろ(笑)、ってなっちゃうモンなんですな(笑)。

マクドナルドじゃスマイル0円ですが、スマイル売り物にならねーから今度は怒り0円にしてみました!じゃ誰も客は寄り付かなくなるかもしれません(笑)。でもですね、実際にはどうせ0円なんだからサービスなんぞしてられねえ、という環境で育ってしまっている人間が実に多いのが現代社会なんですな。

「おまえのこと、こんなに好きなのに、なんでおまえは俺を好きになってくれないんだ?」

という手前勝手な表現、立場を替えれば

「あなたのこと、こんなに嫌いなのに、なんでつきまとうの?」

ということを理解できない人間が多いんでしょうな。だからこそラスト・フレンズというのは自分の殻を破れずに他人をどう愛すればいいのか、ということにもがき苦しむ、「愛の本質」という寓喩をヒシヒシと感じるワケですね。ここが面白さになっているのではないかと。

不文律でない部分を社会は勝手に不文律と扱ってしまったことによる弊害も色々あるんでしょうが(笑)、その不文律とやらを面白おかしく咀嚼する左近治の「near left」な立ち位置で、ビートニクな感覚で繰り広げようとしているのであります(笑)。

いずれにしても音楽ありきで色々と物色している中での思いもよらないものに出会うことは多いものでして、それがドラマやアニメで置き換えるというのはいささか無理があるものですが、音楽を通してこういう風に語るのは理由があって、音楽にも実は同じことが言えるからなのであります。

小難しく聴こえるのは、その音楽が難しいのではなくて自分の耳の習熟度が浅いから。それを言い訳にすると負け組だと誤解してしまっている人が多いワケで。引くに引けない自分のプライドをそんな浅いレベルで強固に守りに入ると、結局は得るものが得られなくなるよ、というワケですね。音楽ってぇのは確かに難しいんですが、覚えてみると面白いモンですよ、ホントに(笑)。