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釣りをしている時の怖さを例えると [制作裏舞台]

扨て、春の訪れも近くなりまして麗らかに釣りにも行きたいモノでありますが、花粉の吹雪が飛び交う中左近治は血眼、鼻垂れ、唇は荒れ放題の症状に陥っております(笑)。とはいえまだまだイイ方で去年と比較すれば確かに多いものの、ホントに多い時はこんなモンじゃないですからね(笑)。まだまだ様子見しないコトには「これから」は判らないものでありますが。

そんな折、釣りの誘惑が忍び寄って来るワケですが、釣りをやっているとですね普段足を踏み入れないような危険を伴う場所にも平気で行ったりするものです。釣り場を探しに、ですね。

こちとら息を潜めて釣り場を探るワケですが、そんな時に出くわす怖いモノはやはり「人」(笑)。お化けだの未確認生物だの、そんなSFチックなモノなど決して怖くありません(笑)。それらは結局擬人化しているからの怖さであって、なんだかんだ言って怖いのは人間様なんですよ、ホント(笑)。

向こうの方が生きていても怖いモンです(笑)。そちらの方も息を潜めて釣りに没頭しているワケですからね。予期せぬ場所での人間ってこうも怖いものかと実感する時であります(笑)。これで死んだ人など見た日にゃあやっぱり気分は良いモノではないですよ。


やはり人間の心の中では、如何に本能に近い感情レベルを持ってしても擬態化なり擬人化させているというのを痛感するワケで、今まで見聞きしてきたものを、トラウマにはならないであろう記憶の領域での大小や強弱を無意識に差別化させてイメージしているんでしょうな。

で、本当の怖さはやはり人在りき、というイメージを抱きつつ、ちょっくらホラーっぽい演出を施した着うた作ってみたりと色々試行錯誤しているワケなんですが、恐怖という部分を排除して非日常的なイメージを構築させようとすると、そういう曲は概ねいわゆる「ドラッグ」と形容されるようなイメージに近くなるといいますか、つまりサイケデリック的な世界感をイメージすることができるんですね。

サイケというのも結局は人の怖さなり、勝手に偶像化させたモノが巨大化しているようなモノであって、人造物なのに工業地帯のあまりのスケール感の違いにワクワクしてしまうような感覚も実はこういう所の感情をくすぐっているのかもしれません。

そういう風に形容される音楽とは、やはり向精神作用という形容をすれば合致するのか、その作用を知らずともなんとなくイメージできてしまうという領域というか、世界観が存在するワケですよね。ダリの絵画やピンク・フロイドのアルバム・ジャケットとかにもそういう世界観はあるワケで、ピンク・フロイドは日常の音への愛着と、それが恐怖に変わるという対比が実に巧みですよね。


マイナー・メジャー7thの響きが実にオイシイ「Us and Them」。ドラッグから癒えるような感覚というか、でもまだ効果が残っていて、マイナー・メジャー7thの響きが来る時は酩酊感が如実に表現されていると言いましょうか。

体系的に和声を覚えればマイナー・メジャー7thなど誰にだって弾くことは可能なものの(笑)、「Us and Them」の凄さはそんなモノではないんですな。

別に、マイナー・メジャー7thという和声を使いたかったから使ったワケでもないであろうし、だけれども計算され尽くされている感じがあって、行き着いた音が最終的にマイナー・メジャー7thになったのでありましょう。響きを追い求めていれば、どんな響きにも毛嫌いすることなく受け止めるというか。これこそが音の追求なんだろうなあと思うワケですね。

ペンタトニック覚えた程度で音階を網羅したかのような錯覚に陥るギタリストや(笑)、少々小難しいコード覚えてしまって、結局はそれ以降発展性が阻害されて、使い慣れないコードは喰おうともしない連中が多いワケですが、そういう人達の感性からは決して「Us and Them」は生まれて来ないだろうと確信するワケです(笑)。

体系的にしか理解していなければ、スティーリー・ダンの「Black Friday」のサビ部分の「D♯m7」が出て来る所など、こういうセンスは絶対生まれないだろうなと確信しちゃう左近治なんです(笑)。

いずれの曲も和声の種類は違うし、同列に語れませんが、でも意表を付きながらも「在るべき音」と形容できるくらい自然な「意表」なんですね。だからといって、この手のセンスはドラッグに手を出せば自ずと手に入ると思うようでは愚の骨頂でもありまして(笑)、和声だけでもこれだけ世界観をコントロールできてしまうというのが音楽の奥の深さなんですなあ。

今や色んな発音原理のシンセがありますが、音色のキャラクターに頼っただけの音作りや音選びになってしまっていて、それこそハモンドや実際のオーケストレーションで微分音や倍音までをもコントロールしてまで「ガテン系」な「シンセサイズ」をしていた時代の人達の方が現在よりも耳の肥えた人が多かったのではないかと思うことは多々ありまして、「なんでココで矩形波の音を使うのか!?」という、単一楽器としての音色で見ればそれほど魅力を感じない音でも、アンサンブルとしては必須だった、という発見をさせてくれる曲や、或いは交響曲を聴いていてもオルガンなど演奏されていないのに、律された音からは時にはオルガンの倍音構造と同じように構築されているアンサンブルなども普通にあるワケですね。

やたらと音効的なシンセ音を羅列すればホラーの音になるのではなく、ホラーを演出するための器楽的な能力というものが昔の人の多くには備わっているというか、そういうアレンジの妙味を感じることが多いのであります。「ホラー」はあくまでも一例なんですけどね。


シンセが出す音が怖いのではなく、人間が考え抜いて作った音に怖さがある、と言いますか。「怖い音系なら、このシンセ!」的発想で作らないようにしないといけないなあと感じる左近治なのでありました。