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寓喩に長けた人物 [ネタバレ]

が少なくなったモンですなあ。新聞読もうがニュースを見ようが。

言葉の羅列なら覚えた言葉を手当たり次第使えば誰でもできる。しかしそれを語彙とは呼ばないでしょうな。美辞麗句にあるような形容詞の羅列、まだ人様の垂れる愚痴の方が、怒りというものが根幹にあるためまだ本質を捕らえているという(笑)。

映画だって寓喩をちりばめてナンボ。場合によっては言葉も要らない世界がありますが、今はRPGのような双六のような手順を踏んでいかないと理解できなくなってしまったのか!?もはやこう感じることしきり。

バズワードなんたら言われていたのがここ数年くらいでしょうか。あたかも価値あるように見せかけて聴き慣れぬ言葉やもっともらしいクダリを用意して、さも凄そうに見せかける、という手法。

田中康夫のなんとなくクリスタルのような表現を用いて、時を超越してエセな世界をデコレーション、というワケですな。

ブロードバンド時代!などと謳われ、家庭にはパソコンが次々と導入されていき、ネットを見れば「もはや紙媒体は疲弊する」とまで言われましたが、フタを開ければ何て事ない。ネットがドブ下してしまったという有様(笑)。多少臭くても人の集まる所を求めて群がる様は、どこかの街のような光景すら目に浮かんでしまうワケで(笑)。

何が言いたいのかというとですね、企画を練ってありとあらゆる手段でプロデュースして宣伝してトレンドを作ろうとしても本当の潮流は生まれないのでありまして、サブリミナルとは言いませんが、全く異なる事象の寓喩を鏤めていくことの方が人の心をくすぐる筈なんですが、幼児にでも判る程度の寓喩なので、魅力が希薄になってしまうんですな。特にそういう意図がミエミエなのが最近の民放には特に多いんですな。誘導したい狙いがあってもそれが浅はかすぎるというか。

新ネタ披露する芸人が、客にも先読まれるようでは終いです(笑)。落語だって寓喩こそがキモの世界でしょう。

音楽も実はそういう表現などインストゥルメンタルだって可能でして、多くの人が飛びつくのは、判りやすい「歌詞」の方に飛びついて感情移入させたり投影したりして、フィクションの世界であろうがその表現の寓喩を見いだそうとするワケですな。だから感受性の高い年齢層は影響されやすいというワケであります。

判りやすいモノに飛びついてくれるからソコに餌撒くんじゃなくて、もっとヒネリの深い、誰もが滝壺に飲まれてしまいそうなことを咀嚼した表現で判りやすく構築していかないといけないんでしょうが、どうしても難しくなってしまうんでしょうなあ。

限られた文字数で表現するジャーナリストというのはやはり凄い世界なワケですが、日本語印刷物の基本は「ベタ組み」。つまり、文字のひとつひとつが原稿用紙に当てはめたように縦横揃っているんですね。

ただ、実際には英数字が混入したり、文字数が多くて編集をやりくりしてもスペースに入りきらない時に、文末の方で字間を詰める。これがカーニング。一度表現した言葉はなるべく割愛したくない。MIDIだってそうです。

着メロ黎明期時代ならベロシティ127や64オンリーのベタ打ちとか強要されることもあったモンですが(笑)、着うたならMIDIオンリーで作る必要はないため、表現力はMIDIのそれとは雲泥の差。しかし場合によっては表現力の豊かさを求めているワケでもないのがこの世界(笑)。

誰もがプライベートユースで切り出し着うたが可能になるであろう、近未来のケータイ着うた。「よくもまあ昔は買ってたモンだね!」と言われるコトになるでしょう(笑)。だからこそオリジナルなコンテンツが重要なのですね。アレンジも含まれますが。

でも、そんなことは先刻ご承知で、いずれは着うたでの収入減るだろうからそうなる前に

iPodユーザやらケータイ持っている人達にもテラ銭払ってもらうようにしないとね♪

とお考えの方々もいらっしゃいます(笑)。


生産者が儲からない農家の現実やら色々問題山積でありますが(笑)、着信音を愛する利用者の中で、自分自身でとにかく作りたい!と思って作る人、どれだけ存在したでしょうか。作り方覚えて、配布方法も覚えたら自分も儲けたいという悪知恵を働かせた人の方が圧倒的に多いのではないかと(笑)。

楽器の世界でもとりあえず楽器屋に働いてみて社員販売で安く購入できたのはいいけれども、自分が使うのではなく某オークションに出品して小遣い稼ぎしていたりとかですね(笑)、姑息な人達が増えてしまったなあと感じるワケですね。


音楽の本質や共通点を呈示したりすることで見抜いてほしいなと思うばかりであります。それを知ってくれる人が私のショップのお客さんのでしょう。Kクリの。

結論は書かずに、簡単な「寓喩」で書いてみましたよ、と(笑)。