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変性意識下のマロ [たわごと♪]

トラジャ。

トラジャ・コーヒーという名前を耳にしたことがあると思いますが、そこに「マロ」と呼ばれるダンスが存在するんですな。まあ、いわゆる「トランス状態」であるんですが、踊る人達は実は流血してるんですね(笑)。だけど、トランス状態のそれが踊っている最中に治癒させてしまうという、変性意識の齎すパワーというのは尋常ではないのが分かると思います(笑)。

シラフでも自己をトリップさせるようにコントロールさせてしまったら、それこそ立派なナチュラル・ハイなんでしょうが(笑)、そういう変性意識とはフェーズが異なるものの、私の場合は音楽がトコトン好きなのでありますが、そういう欲望や快楽など、求めているものにそんなに差はないワケですね。各人の違いは方向的なものではなく、強弱に例えることができると思うんですな。

利用者のことを考えつつも、Kクリの場合は特に制作者側の意向を色濃く反映させることができる中、左近治はややもすると利用者側のことを考えつつも、もはや自我の追求(笑)とばかりに、自分でも利用者側と乖離してしまっているのではないかと思うことなど多々あるワケでして(笑)。

とはいえ、勝手気ままで利用者無視というスタンスではなく、こんな左近治であっても利用者の方々のことはきちんと考えているんですね、実は。そうじゃなければ選曲に頭痛めるコトなどなく、勝手気ままに、もっとモンドな内容になっているかもしれません。

でもですね、音楽というものは制作側と聴き手というのはある程度の距離は必要だと思うんですね。

それはどういうことを意味するのかというと、利用される方々がイメージする曲想などほぼ100パーセント満たすようなスタンスで制作してしまえば、一番最初は手に取ってくれるでしょうが、常に利用者の欲求に応えるだけだと結局は利用者側の予想の範疇に収まってしまうだけで衰退していくと思うんですよ。

医者や弁護士や暴力団やホームレスに例えれば、これらの人はそれぞれの「コロニー」があって、分離していますが、少しでも利害関係のウェイトバランスが加わることで、隔絶されていたはずのコロニーは調和していき、ひとつの波が来ればその後にはまたコロニーへ戻るという、微妙な社会バランスが、言葉で表せば全く異なる人達であっても実際には持ちつ持たれつのシーンも無いとは言えません(笑)。

まあ、極論ではあったものの、そのウェイトバランスというのは時として左近治のショップに近付いたり、或いは離れたり、と。そういう意味ですな(笑)。

普段は余りにも一般的人々が嗜好する音楽とは異質の曲を扱ってはいても、多くの人々が最も影響されるテレビやゲーム関係、あるいはチャート系の音楽などが時たまマニアックな類の曲を扱って、それがたまたま左近治が作っていた場合、こういう時はやたらと密接な関係というか(笑)、ウェイトバランスが変化しているわけではないのに、利用者の方々が近付いてきてくれるんですな(笑)。

意図せぬバランスでは、実際にウェイト(荷重)の変化が起こっているわけではないのに、そこでたまたま巡り合わせとなった両者(制作者と利用者)の出会いがあるんですが、利用者は常に「有償」であるため、顧客としてのプライオリティーバランスを欲しがるものなんです。左近治も違う場面で顧客側のスタンスになれば、そのプライオリティーバランスの欲求というのは非常によく理解できるものであります。

しかし音楽の場合、ここのプライオリティーバランスを顧客に渡してしまうと、もはや好きなことは出来なくなるというか、計算づくで制作できてしまうことが大半なので、この部分に制作側としてのエゴはあってもイイんではないかなーと常々感じるワケですね。

いつかはどこかで巡り合うかもしれないし、全く出会うことなく消え去ることだってあるかもしれない(笑)、ただ、ウェイトバランスを見極めようとするのは顧客側であって、制作側のスタンスは首尾一貫していればブレることなく保っていればイイだけのことだと思うんですな。

いくらマジ曲ばっかり作って、超マニアックでマイナーな曲作ってはいても、これでは合コンに参加しておきながら自分のことはかなぐり捨て相手の異性に剛速球でなぎ倒したり説法説くようなのと一緒なんで、変化球を織り交ぜながら「打たせて捕る」というか、たまにはエラーで出塁させてあげる「配慮」も必要だと思います(笑)。要所で左近治は魔送球で打ち取ろうと画策しちゃったりするんでしょうが(笑)、Kクリにおいては利用者の方々に魔送球は投げていませんよ(笑)。こういうのはショートコメントで大概ネタにしているんで(笑)。


血を流す必要がなければ「マロ」を踊る必要はない(笑)。

では、マロを踊る人達は何を求めているのか?


ココなんですなあ、重要なのは(笑)。


民俗的な視点で見れば、そのコロニーにおける宗教的な部分、あるいは覚醒作用のある薬物やらそういうものも用いているかもしれませんが、そのさらに奥深い部分では一体何を求めていたのか、というコトなんですね。

制作している側がきちんと音楽作れていれば、どんなルールにも当てはまるモンだと思いますな。


左近治のようなショップを好まれる方の多くには、背中の一押しをする必要はないのだと考えておりますので、こういうスタンスを取り続けるのであります(笑)。別に、ショップの看板に100円ポッキリ!と書いてありながらドンペリ入れさせるようなショップではありませんので(笑)。お客さんに血を流させるワケにはいきませんし、マロを躍らせるワケにはいかんでしょ(笑)。口実でマロ躍らせるような場所こそが、それこそ胡散臭い、浅い歴史のreligious peopleのコロニーだったりして(笑)。